2nd MUKU LABORATORY

NF1について書いてます。

9年前の3月11日

 

毎年この日になると、あの日の事を鮮明に思い出します。

 

あの頃は、まだ、ちゃんと働いていた頃だったな…

残業もめちゃめちゃ多かったけど。

一番余裕のある頃だった…

 

あの日は、仕事が休みで。

タツで漫画本を読んでました。(夏目友人帳を)

 

そしたら地震がきて。

そのうち、尋常じゃないくらい揺れ始めて。

経験したことがない、揺れ方でした。

 

ケータイを握って。

オシッコ漏らしながら固まっていた、当時、飼っていた白猫を抱えて。

靴も履かずに、窓から飛び出しました。

 

駐車場に止めてある自分の車に寄りかかって。

車も、ものすごく揺れていて。

家が崩れる覚悟をしました。

 

大丈夫でしたが。

水槽の水どころか。風呂の水もこぼれていたので。

相当、揺れたんだと思います。

部屋の蛍光灯は、落ちていました。

 

この日の天気は、不安定で。

空の色が、異様な色をしていたのを覚えています。

 

雨雲の色なのか、地震で舞い上がった土埃の色なのか。

どれくらい、外にいたかわかりません。

田舎なので、人も見かけなかったし。

 

1時間位、寒さも忘れて外にいたと思います。

当時はスマホなんか今ほど普及しておらず。

ケータイで色々調べたりもせず、呆然としていました。

 

我に返り。

テレビを観ようと思った時には、既に津波で沢山の物が流され。

生放送で、人や車が流される映像を見ました。

 

夜になると、何処かの石油ターミナルが燃える映像と。

東北方面では、真っ暗な映像。

街が消えてしまったと、絶望したアナウンス。

 

それからは、CM自粛や計画停電

物資はなくなり、スーパーはすっからかん。

(そーえば、あの頃はトイレットペーパーの心配はなかったな)

 

2階の自室で寝るのが怖くて。

しばらく1階で寝ていました。

 

この時、飼っていた白猫は。

この年の5月に死んでしまいました。

この時くらいから、ものすごく弱っていって。

まだ3歳でした。

 

沢山の人が亡くなり、行方不明にもなりました。

それと同じく。

沢山の犬猫も亡くなったそうで。

 

鎖で繋がれた犬は、そのまま溺死

猫も犬も流されたり、溺れたりして。

また、原発関連でも。

避難所に行けず、保護もできず。家の中で餓死した猫の亡骸をみて。

泣き崩れる飼い主の映像をたくさん見ました。

ペットショップも流された所もあるようで。

 

どのくらいの動物が亡くなったんでしょうね。

 

どうしても、こんな状態だと。

自分の身体を守ることと、生きることで精一杯で。

私も、今いる猫たちを守っていける自信は無いですが。

 

人も、犬も猫も。

地震で揺れれば、怖いし。

津波が来れば、なすすべも無いですよね。

 

 

阪神淡路の時は。

小学生で。インフルで寝込んでて。

ずっとニュース見ていました。その日のことは。

やっぱり、よく覚えています。

 

画像

 

なんか、丈が短いままチューリップが咲いちゃいそう。

去年、貰った球根で。

10月に植えたら12月には芽が出ちゃって。

何度も土を被せたんだけどね…

暖冬のせいかしら。

 

深谷市はネギとチューリップも特産品で。

5月くらいになったら、チューリップ畑の球根を無料で貰えたりします。