東日本大震災から10年
毎年、この日はあの日を思い出して記事を書いてます。
もう10年も経つなんて思えないほど鮮明に覚えています。
あの日あの瞬間は…
仕事が休みで私はコタツで漫画を読みながらゴロゴロしていました。
テレビも付けていなかったな。
地震だなぁっと思いましたが。
いつもと違う地震だなって思っていると。
家が聞いたこともないくらいミシミシ音を立てていて。
窓から逃げようと思いました。
窓際では当時飼っていた白猫がオシッコ漏らしながら固まっていて。
ソレを抱き抱えて、そのまま外に飛び出しました。
靴下のまま庭を走って自分の車に寄りかかりましたが。
車もゆれていて、家を眺めていました。
家が崩れてしまうかもしれないって思っていました。
空を見上げると、変な色をしていて、余計に恐怖を感じました。
今思うと地震で舞い上がった土埃だったのかもしれないです。
しばらく怖くて動けなくて。
多分1時間以上外で蹲っていたと思います。
我に返ったころ…
地震の時は家のドアや窓は開けておいたほうが良いと聞いたことを思い出して。
玄関や窓を開けました。
家の中はさほど荒れてはいませんでしたが。
部屋の証明が落ちたりはありました。(あと、フィギュアがぐちゃぐちゃになってた)
風呂と水槽の水もこぼれていました。
家の中を見回って、もう暗くなってきた頃。
ようやくこの時になってテレビを付ける事に思い至りました。
その頃は。既に津波が全てを押し流したあとで。
行方不明者10万人、街が消えてるというニュースキャスターの言葉が忘れられません。
この頃は緊急地震速報の制度もあまりよくなかったですが。
地震のあとはテレビからあの音が何度も何度もして。
夜になると、千葉の石油コンビナートが燃える映像を観ました。
そのせいで、翌日ガソリンスタンド近くは渋滞していました。
職場の隣にガソリンスタンドあったせいで車が全然動かず。
職場にたどり着けませんでした。
私は、たまたま前日にガソリン入れていました。
夜は玄関の近くで寝て。
窓も開けっ放しで寝ていました。寒かったです。
5分おきくらいに地震がくるしで、全然眠れませんでした。
3月9日にもけっこう大きめの地震があって。
私は、病院だったのですが。
めっちゃ揺れてるのに、誰も何も感じてないみたいで。
私がオカシイのか??て思っていました。
私の身近には震災で亡くなった人は居ないのですが。
お世話になった知人が、いわき市に住んでいて。
小さい頃、海水浴や花火大会に連れて行ってもらったのですが。
その場所は津波で流されてしまって今はもうありません。
階段降りたらすぐにビーチがあって。
将来、あんな場所に住みたいなとか思っていました。
朝、犬と海岸を散歩したり、波と戯れたりしたいなって思っていたんですけどね。
10年前はスーパーに勤めていたのですが。
翌日の職場はまさに地獄絵図って感じでした。
11日の地震当日は棚から商品が吹っ飛んで。
テレビで見るようなガチャガチャな状態だったそうですが。
そのへんは、既に片付いていました。
商品も、わりと残っていましたが。入荷がほぼ無かったです。
開店と同時に、客同士の奪い合いが起きて罵声が飛んでいました。
殆どの商品が棚から消えました。
人のカゴに入った商品を他の人がとるような光景が広がっていました。
会計前の商品なのでコチラからは何も言えないし。
特に個数の制限もその時は無かったので。
アイツがヨーグルト2つ持ってる!!って叫んでいたり。
家には妊婦が居るのよ!!!って怒鳴ったりしていました。
(何故か乳製品が真っ先に無くなった。)
店員が仲介して商品を譲りあうなんてことはしないので。
そのへんは客同士で話し合ってもらうしか無いのですが…
ちょっと売り場に行けば店員は客に取り囲まれて危険なので。
品出しも自由にできないような感じでした。
あとは、知っての通り米やパスタや乾麺が無くなって。
同僚は家族が避難所にいるというので冷凍の鶏肉を大量に買って届けに行ったりしてました。
非常時なので、ホントは直ぐに食べられるものが良いんでしょうけどね。
通勤途中に墓石や灯籠が倒れているのを見かけました。
個人が立てた納屋のような建物が壊れたりもしていましたが。
道路や電柱などの被害は無かったです。
沼の近くとかは液状化があったようです。
近くの同系列の店舗は計画停電で営業できなくなったりしてましたが。
私の居た職場は警察署が近かったので計画停電はありませんでした。
自分の家の近くもスグ裏の道は計画停電してましたが。
私の家の近くは浄水場が近くにあるので大丈夫でした。
シロちゃんは、あの年の5月に虹の橋を渡ってしまいました。
家にいる猫で地震を経験したのはフレアちゃんだけかな。
フレアちゃんは外に遊びに行ってたけど。
今のシロコちゃんと違って。
初代のシロちゃんは本当に、真っ白でキレイな猫でした。
今思うのは、シロちゃんが恐怖を感じていたあの瞬間に
一緒に居てあげられたのは良かったことなのかなって思いますが。
病気で亡くなる瞬間は病院だったので。
そのことは、ずっと後悔しています。