2nd MUKU LABORATORY

NF1について書いてます。

“ジャンポケ”斉藤慎二さんの記事を読みました

 

私の小学生の頃の担任も似たようなことをしました。

学級会で私のイジメについて取り上げて。

クラス全員に私の嫌な所を聞いて、ソレを黒板に書き出しました。

 

声がキモい、耳障り、汚い、菌が伝染るなどです。

死ねとかも書かれました。

ソレは1回ではなく数回ありました。

私のイジメを改善するためではなく。

学級会という会議のようなイベントの題材として都合よく取り上げただけです。

 

別に注意するとか、そういうのは無かったし。

誰がどんなことをしたとかは取り上げない。

 

最終的には、自然淘汰とか自然の摂理ってことになった。

異質なものは排除されて当然だから、自然なこと、仕方ないこと。

 

私は机に突っ伏して顔も上げずに泣いていましたが。

そんなのは無視したまま学級会は続きました。

私の居ない時にやってよ。

 

 

 

教師もやばい人だったけど。

学校もヤバかったと思う。

 

私は筆箱を後頭部にぶつけられて、頭が割れ大量出血しました。

洋服の背中が血で染まるほどでした。

ピンク色のカーディガンでした。

 

学校は救急車を呼ばなかった。

 

家に電話して母親が迎えに来ました。

母は車を持っていなかったので、自転車で迎えに来ました。

 

自転車なので大きな病院にも行けず

近くの小さな診療所で頭を縫いました。

 

学校やイジメた人から謝罪などはなかったです。

 

父は、イジメられる方に問題があるって考えの人間なので。

味方にはなりませんでした。

 

この時代(今もかな)、いじめられても無視しろ。

相手にするから酷くなるんだ。って考えもありましたが。

 

相手なんかにしてない。

一方的に続くんだよ。

 

それからは、親にも話せないし学校に相談することもできなかった。

イジメは小学校と中学でも続いた。

 

中学の時、教師に容姿のことなどで相談をした。

体育の女性の教師だった。

体育で長袖や長ズボン履きたいこととか、プールに参加できないこととか。

でも、取り合ってもらえなかった。

あなただけ、特別扱いはできませんと言われただけだった。

 

体育は参加しなかった。

小学校の時は図書室に逃げたこともあった。

 

誰も迎えに来ないし注意されることもなかった。

フラフラしてる生徒は他にも居たし。

 

そういうやつは見て見ぬふりするのが普通でした。

今なら多動性障害とかで病院行けって言われるんだろうけどね。

 

中学になると保健室にいることが多くなりました。

体育の時間は教室に居たり。

 

私はグループが組めなくて。

一人余ったりして。先生と組むことも多くて。

それが嫌だからバックレてました。

 

自分には大きな転換期がないまま、ダラダラと引きこもって。

今に至っています。

 

仕事もしないで引きこもっています。